隣の芝が青く見えることもあるけど~ボーナス支給日によせて~

考え方

今日は冬のボーナス支給日の方が多いようですね。

Twitterにも、支給された、という報告&喜びの声がたくさん上がってました。

ボーナス支給されたみなさま、おめでとうございます(でいいのかな?)。

そして、半年間、お疲れさまでした。

 

中にはボーナスの金額を公表されていたり、

ズバリ言わなくともなんとなく推測できる表現をされている方もいましたね。

そしてそれを見てうらやましいと仰る方も。

うん、思ってしまうの、わかる…。

 

私は今専業主婦なので、

賞与どころか給与にも縁がないわけですから

あの人の方が高いな、と思って落ち込むこともないですし、

うちってやっぱり給料低いのかな…となることももちろんありません。

 

ただ前の私なら、

主婦だろうがサラリーマンだろうが

人と「お金」で比べてストレスをためがちだったので、

その気持ちはよくわかります。

 

と同時に、自分の変化に驚いています。

比べなくなると、ほんと楽になりますね。

と、今日はそんなお話を、ゆるゆると。

そもそも私は比較しがち人間だった

 

昔の私はずっと、給与水準や貯金額など、

周りと比べてどうなんだろう?と気にしてました。

でも今はびっくりするくらい気にならないです。

 

そもそも専業主婦なんだから

「そりゃそうでしょ、比較しようがないでしょww」

って思うかもしれませんし、

立場が違うから参考にならないや、と思われる方は

どうぞ×ボタンを遠慮なくクリック!!!

 

さあどうぞ

さ あ ど う ぞ

 

この子、当ブログ二回目の登場です。笑

お金を基準に考えていた時代

 

銀行員として働いていたころは、

周りもお金に関心のある人たちばかりだったので、

「お金を持ってる人が正義」くらいの勢いで、

預貯金額をさぐりあい、マウントを取り合うような雰囲気がありました。

 

月々いくら貯金に回しているか、とか

投資に回しているか、とか

なんとなーくそんな会話が繰り広げられ、

相手の貯金額が

自分より多ければ焦るし、

自分より少なければ安心する。

 

私も、周りも、そんな感じでした。

 

私は奨学金も抱えていましたので、

早く返したい、そしてもっと貯金額を増やしたい、

そんな思いで、

とにかく「お金」を基準にしてものを判断する日々。

 

お金を使えば罪悪感を覚えるし、

貯金額が増える通帳を見るのが嬉しかった。

判断基準が「お金」→「何が幸せか」に変わった

 

そんな価値観が変わるきっかけになったのは、

転職した先で

働きすぎて体調を崩し、

退職を決意したことでした。

 

当時勤めていた会社はリクルート。

このまま働いていれば、まあまあの年収と、

手厚い福利厚生が受けられると、わかってました。

それを手放す勇気が持てたのは、

体を壊し、健康を意識してから、

何かを判断する時の基準が

「お金」から「自分にとっての幸せは何か」

にシフトしたからだと思います。

 

そこからTwitterも始めて、

周りの投資額の大きさに驚いたりもしましたが、

少しずつ価値観が変わって、

周りがどうであっても、

自分は自分で行こうと思うようにしました。

 

その時書いた記事はこちら

金額は比較しても仕方ない

 

どこの会社で働くか、

勤め先の福利厚生、

親の影響、

家庭の事情、

 

収入や資産額というのははこれで差が出てしまいます。

努力して何とかなることならまだしも、

もう今更どうにもならないことだってあると、私は思います。

 

そして「お金」は数字で表せるから比較しやすい。

いくらあっても邪魔にならないものだから、

収入が高い人や投資への入金力が高い人を見たら

うらやましくなってしまうこともある。

 

でも数字や金額だけで比較すると、

そもそもの前提が違いすぎることを

どこかに忘れてしまいそうな気がします。

 

ねこまにあ
ねこまにあ

収入も、支出も、

目指す未来も、みんな違うしね。

 

差を嘆いても何も変わらないなら、

自分が持ってる中でどう使って幸せになるか

考えた方が精神安定上いいですね。

 

「ないもの」はどうあがいても「ない」んやから

うだうだ言うたってどうにもならへんやん

 

これは今話題のはちやぎ本こと

「幸福のための人間のレベル論」に書いてある言葉です。

その通りだな、と思います。

 

 

 

私も長年の癖だった「人との比較」から解放されて、

ようやく少しずつ、こう考えることができるようになってきたのかな。

 

ねこまにあ
ねこまにあ

でも、比較というより目標として認識して、

ここまで頑張るぞ、と節約したり、転職を考えたり副業したり

プラスの原動力になるのはいいことかなと思いますけどね。

足るを知る

 

雨風しのげる家に住めて、

毎日ご飯が食べられて、

ある程度余暇を楽しめて、

少額だけど投資にまで回せる。

それができている今の収入は、私には十分です。

 

この生活を支えてくれている夫には感謝していますし、

だからこそこのお金でもう少し豊かな生活を送れるように

私は資産運用部部長としてのんびりと情報収集をしているわけです。

 

この暮らしが送れているだけで十分。

子供の教育費や、老後の資金など、

もちろんもっともっとと望めばキリがないのですけど

ない袖は振れないのです。

 

子供がしたいと思うこと、

全部させてあげたいのは親の当然の願いですけど

もしかしたらそのすべてを親のお金でかなえてあげることは、

できないかもしれません。

 

先日読んだきしやんの記事に、

同じようなことが書いてあって、ひどく共感しました。

第3章だけでもぜひご覧ください。

 

 

老後資金についても同じ。

仮に十分ではないにしても、

足りない分を賄うために

許容範囲を超えたリスクを背負う勇気もありません。

 

ねこまにあ
ねこまにあ

足りない分は何とかする!笑

 

出来る限りの備えはもちろんしますし、

よりよくなるための努力や情報収集は続けていきますが、

周りと比べてもっとやらなきゃ、もっと欲しい、

と思うことは、なくなりました。

自分たちにとっての“必要十分”を考えて、行き着いた先です。

 

隣の芝は青く見えるものですが、

青く見える以前に、そもそもうちに芝は必要なのか?

もしかしたら土だけのほうがいいかもしれないし、

池を作ったり木を植えたりした方が

自分たちは満足するかもしれない。

 

隣の芝を目指す前に、

どうしたら自分が幸せか、その一点だけを考えた方が、

圧倒的に楽ですね。

 

少なくとも私は、

他人をベンチマークにして生きていた時より、ずっと楽です。

 

飽くまでも軸は「自分(たち)」に置いて

投資戦略も、人生設計も、

考えていきたいなぁ、と思うこの頃なのでした。

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