数日前、知人からこんな本を紹介されました。
まだ読んでないのでわからんけど、要は過去の傷を克服しましょう、その方法はこうです、みたいな話っぽいです。
私、こういうセラピー的な本を紹介されることって、度々あるのですが。
読んでみようかな、という知的好奇心よりも、恐怖が先立って、読む勇気がまったく出ないんですな。
一度、同じような内容で、ワークがあるタイプの本を立ち読みしたことがあるんです。
それは、トラウマになってる過去の辛かったことを思い出して、書き出して、解釈を改めたり、自分で傷を癒せるようにして克服していく、て形のものだったんですが。
ワークにある、その枠内を埋めるところを想像しただけで、涙が出そうになってしまったのです。
立ち読みだというのに。公共の場だというのに。
それをちゃんと最後までやり遂げれば、もしかしたら克服できるのかもしれないですけどね。
まだその勇気が、出ないんだなぁ……
たぶん、紹介してくれる人からすると、「もったいない」になるんだろうなと、思います。
克服できるかもしれないのに。
そのほうがこの先の人生楽に生きれるかもしれないのに。
だったら一刻も早い方がいいのに。
うん、言ってることは、よくわかる。
でも、怖いんだもん。
だって、まだ終わってないんだもん、私の中で。
私が抱える辛い過去の記憶というのは、母の記憶で。
されたことや、言われたこと、当時の感情を思い出すと、胸が押しつぶされそうになる。
しかも、母との関わりはまだ続いているので、
私の中で完全に「過去」と割り切ることはできないんです。
克服するためとはいえ、それと向き合うのは相当、勇気がいります。
だから紹介してくれたのにごめんだけど、今はちょっと読めないな…
読みたくない。こわい。
色んな知見を身につけるにつけ確信してゆくのだけど、母にされたことはたぶん、私の人格形成に、大きく関わってると思います。
周りにいる、いわゆる“自己肯定感の低い”子も、「母の機嫌を常に伺ってた」て人が、とても多くて。
これはもう、他責と言われようが、母が関わってることは間違いないと思うのだよ。
でも、私の中で、ゆっくりとではあるけど、
自己肯定感は育まれてきたと思ってるの。
色んなことに敏感で繊細な、今の私だからこそ気づけること、言語化できることもあるんだって、わかってきたから。
相変わらず自信はないけど、今の自分を好きだと思えることは、増えてきたかな。
だからまだ、過去に向き合うのは、もうちょっと、後で。
もうちょっと、先送りさせて。
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