ひょんなことから、小倉とも子さんという方のHPにたどり着きました。
あの、山梨県道志村で行方不明になった小倉美咲ちゃんのお母さまが書かれているHP(ブログ?)です。
美咲ちゃんのものである可能性が高いお骨が続々と見つかったことは
私も報道で知っていて、心を痛めていたところです。
HPの最新記事は、その件に関してのお母さまの心境が綴られたものでした。
まだ無事を信じている、という想いがあふれた文章の中に、こんな一文が。
「お骨になってでもせっかく帰ってきた美咲ちゃんを受け止めてあげて」とお言葉を頂いても、「希望的観測の上に行動しても全く意味がありません」とお叱りのメールが届いても、今は納得することも受け止めることも難しく、メールにまともに目を通すことも出来ません。
わたし、これを見て愕然としてしまいました。
どんな状況であっても、無事を祈り、信じているという母親ならばしごく当然の気持ちに対して、
そんなことを言う人がいるのか、と。
わざわざ本人に伝えることなのか、と。
気になってそのHP内を色々と見てみましたら、
娘さんがいなくなってからの数年間、誹謗中傷にも悩まされていたこともわかりまして。
その内容も見ましたけど、なんていうかもう…もう、ひどい、以外の言葉が見つからなくて。
ただでさえ、愛娘が行方不明になってとてつもない心労を抱えているのに、その状況を打破するために起こした行動で、さらなる傷を負うことになるなんて…むごすぎる。
とても強いショックを受けてしまいました。
お母さまは、そんな誹謗中傷や無責任なお叱りのコメントに心を削りながら、
それでも、少しでも娘さんに関する情報を得たいと、ネットやSNSでの発信と情報提供のお願いを続けているとのことでした。
「そんなことしてる暇があるなら娘を探せ」なんていうコメントにも、負けずに。
たしかに、お母さまが、傷つきながらも、娘さんの情報が得たい一心で続けるのも、わかります。
それくらいネットは有用ですもんね。
自分の言葉で伝えることができて、たくさんの人に見てもらえるツール。
けれども、そうしてたくさんの人に見てもらえる大きな副作用として、
「招かれざる客」を呼んでしまうという特性も。
色んな人がいるねぇ、だけでは片付けられないような、
悪意を持った言葉を突き刺されることも、
一見善意に見えても、実は単なる押し付けに過ぎない無責任なことを言われることも、あるのですよね。
この数年、お母さまは娘さんがいなくなったことに加え、
そんな第三者からの攻撃にも耐えてきたのだ、と思うと、いたたまれない気持ちです。
ネットで情報収集をしたことで得られた協力もあったのでしょうけど、
その分、残酷さも受け入れて、必死に立ち向かって、娘さんのために、と行動するお母さまに
私は敬意を感じずにいられませんでした。
声を届けたい人にピンポイントに届けるのは難しくて、
届けたい人に届けるには多くの人に見てもらって、届く可能性を上げるしかなくて、
そのためには届けたくない人にも届けなくてはならない。
その結果起きるいい出会いもあるんだけれど、
悪い出会いはとことん心を蝕んでいく。
その、ネットの負の部分をこれでもかと見せられた気がして、ちょっと憂鬱になってしまって、
一人で受け止めきれなくて、ここに書いてしまいました。
すいません。
コメント