自分の文章に飽きた、ということが判明してから、3日。
そこからなぜか、連続して記事を書いているのは、なんとも不思議なことです。
私の場合、書けないときは何かが蓋をしているときで、
その蓋が何なのか、どんな素材でできていて、なぜ蓋として形成されてしまったのか、
みたいなことがわかると、自然とはずれることが多いです。
うん。
この表現を思いつく前は「フン詰まり」と書こうとしていたと思えないくらいきれいな表現になったなって、
今とても満足感でいっぱい。
で、今回は、自分の文章があまり面白いと思えなくて、
「読みたくないから書きたくない」にたどり着いたわけですけど、
自分の書くものが面白くない、と自分で認識できたからこそ、
肩の力が抜けたというのが、書きたいと思えるようになってきた原因だと思います。
面白くないってわかったんだから、自由にやりなよ。
と、自分に言えるようになったというか。
こう書くと卑屈になってるみたいですけど、
これはこれで結構清々しい気分でいるのです。
とはいってもやはり面白いとは思えないので、
書くモティベーションとしては今は、「書きたい」より「伝えたい」が優勢。
もともと、手紙を書くような感覚で記事を書いていたことを思い出しました。
読む相手、届けたい相手を想像して、言葉選びとかもしていたな、と。
書きたい、書くのが好き、という、自己完結型モティベーションもいいけど、
伝えたい、あの人に読んでほしい、という、欲求型モティベーションもあっていいかなぁ、と。
少なくとも今の私は、そのモティベーションがいい作用になってるみたいです。
モティベーション。(言いたいだけ)
昨日書いた記事なんかはまさにそれで、
香りの調合をしたよ、ていうことを、アドバイスをくれた友人に伝えたくて書いた記事だったんですよね。
それなのに、予想以上に読んでいただいて、ありがたくてありがたくて、
ありがたくて。
せっかくなので友人にも、読んでくれ、と送りました。笑
ところがですね。
ねえ聞いて!自己流でやってみたよ!と、やや自信を持って読んでもらったらですね。
「邪道なんてことはないけど、あのやり方は自分ではしないかな」
などと言われてしまい…!
当該記事を読まないとわからない話で恐縮ですが、私は最後に「調合香」を入れたのです。
が、しかし、「調合香」というのは調合されたものなので、
それがある場合、普通はベースに使うのだとか…
それなら先に言ってよぅ!(・´з`・)
状態だったんですが、
友人が言うには、言ったと思うけどな…とのこと。
記憶力はいい方だけど、私は聞いた覚えがないのだ。
だが、私が記憶していることがすべて正しいというわけではない。
それはわかっている。
人間の記憶なんて曖昧なものだ。
しかし、それを言うなら、友人が私に言ったという記憶だって確かなものではない、ということになる。
であるからして、私に言ったという主張も、認められるものではないのだ。
はい、論破。
第一、レシピ送るって言って送らない方が悪いよね?
それなのに、私のやり方がよくないみたいなこと言うのってひどいよね?
そう思いませんか!!
百歩譲って、言ってくれていたとしてさ?
私が理解してないんだから、言ったかもしれないけど、伝えたうちには入らないよね?
言う、と伝える、は違うよね?ね?
みなさん、
こういうことを、他責って言います。
良い子はマネしないでね。
それにしても、「言う」と「伝える」は違う、かあ。
お前が伝えたいことはちゃんと伝わってると思っとるのか!
と、自分に巨大なブーメランが返ってくるのでした―( ̄ー ̄;)→グサッ!!
ちゃんとあなたに伝わってるかな?
では今日はこのへんで。
コメント