昨日は、大切な友人とデート。
普段は着ないようなお高いセーターを引っ張り出して、おめかしして会ってきました。
それはとても楽しい会合で、午前中の数時間だけでしたが、慌ただしい年末のよい息抜きになりました。
その夜。
私はお風呂に入りながら、そのセーターを手洗い。
お高いセーターだから、洗濯機では洗えないのです。
セーターってコンディショナーで洗うといいんですってね。
動物の毛だから?
人間の髪の毛にいいものは、動物の毛にもいいのかしら。
昼間、わざわざ寒いお風呂場でコンディショナー使うことはしたくなくて、
お風呂中にやってしまえ、と裸のまま洗っておりました。
その後、優しく絞って、丁寧に広げて、平干し。
…とまあ、書いてしまえばあっさりしたものですが、
これを着る度にやるのは、大変なのですよ。
普段は洋服って、脱いだらそのまま洗濯機、なのですから、
そこからひと手間もふた手間も増える洗濯はそれだけで億劫です。
なので、上質な服は特別な時にしか着たくない、と思ってしまいます。
普段着を上質なものにすると、毎日が幸せになる、なんて聞いたことがありますが、
それは私には当てはまらないみたい。
上質な服は、往々にして、お手入れに手間がかかるのです。
特別な洗濯や、アイロンがけ、干すときにも伸ばさないようにと気を使ったり。
普段からそんなことをするのは、私にはとてもじゃないけど無理。
着ているときにも、汚しはしないかとヒヤヒヤしてしまいますし、
ねこ様が甘えてきても、「爪引っ掛けないでね!」と緊張感が走り、リラックスできません。
たしかにね、着心地の良さとか、身にまとう幸福感というのはあるんだけれど。
私はどちらかというと、気軽に着れて、ちゃっと洗濯できて、さっとしまっておけるような
そんな普段着のほうが心の安定が得られます。
普段着も上質なものに、というのは、以前読んだ『フランス人は10着しか服を持たない』っていう本に書いてあったものです。
読んだときにはそんな生活にあこがれたものですけど、実際は無理でしたね。
本にあるような幸せのノウハウも、すべて自分に当てはまるわけではなくて。
自分が生活していて、心地よい、と思えることが一番で、それを見つけて認めるとものすごく楽になりますね。
誰かにとって幸せなことが、私にとっての幸せではないし、そうある必要もない。
そんなことを考えながらセーターを洗う夜でした。
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