「あなたの書く文章は優しい」
新年早々、こんなご褒美みたいな言葉をいただきました。
たまにいただくこういう感想は、ご褒美だと思ってありがたく受け取ります。
これに限らず、癒されるとか、好きだとか、そういうのも全部。
あ、ちがうの!!自慢したいわけじゃないんです。
私の文章って、謙遜ではなく本当に、大したものでは全然ないと思ってて、
上手でもないし、独創性があるわけでもないんです。
それでも、そんな私にもご褒美があるんだから、
自分らしく書けば、きっと誰のでも誰かにとって素敵だと思われる文章になると思う、
っていう話をしたいんです。
だってさ、もうなんていうか、身に余る言葉なんですよね。
もちろん、ものすごく嬉しいんですけど。
毎回、スマホやPCの前で、ひとりニヤつきが止まらなくなるくらい嬉しいんですけど。
あと、受け手が感じることを否定したくないなとは思うので、
そんなことないです、なんて絶対に言いたくないんですけど。
けど私自身、決して優しい人間だとは思えなくて、
「いい人」ではない要素のほうがきっと沢山持ってます。
器が小さいから受け入れられる人は少ないし、感情の浮き沈みが激しいし、
周りと比較して落ち込んだり嫉妬したり。
そんな小さい人間なんです。
きっと文章にもそれが表れてるはず。
だけど、その、いわば負のエネルギーみたいなもので書いてる、ていうところはあるんですよね。
自分が抱える劣等感やコンプレックス、
気にしすぎる性格、
それをずっと「悪いもの」として認識してて、直さなきゃいけない、と思い続けてきました。
でも、その要素があるからこそ気づく視点がある。
それを、素直に表現してみる。
すると、共感してくださったり、安心したり、よく言ってくれた、と思ってくださる方がいる。
それもひとつの在り方じゃないかと思うようになりました。
刺さる人は少ないかもしれないけど、どこかにはいる。
それがたった1人だったとしても、
その1人が読んでよかったと思えれば、書いてよかったと思える。
今、PVにこだわらずのらりくらりとブログを書けているのは、こんな考え方をしてるからです。
私が意識してるのは本当にこれだけで、
だから誰でもできるんです。立派でも何でもない。
なのにその考えのもとに書いてると、たまにご褒美をもらえるんです。
なんて素晴らしい。
なんてありがたい。
だから、下手くそでも、あまり読まれなくても、
「自分が書くものなんて…」と卑下するのだけはやめよう、と思っています。
・有益じゃない
・つまらない
それは受け手が決めることで、発する側が決めることではないから。
それでも反応の数=評価という思考に陥りそうになる時はあります。
いいね数、フォロワー数、PV数。
そこで比較してしまいそうにもなります。
そのたびに、私が求めているのは多数からの支持なんだろうか?と自問するようにしています。
そしてその答えはいつも否、です。
最近、インフルエンサーの書いたブログを久しぶりに見ました。
そこには「みんなのために」と書いてありました。
皆のニーズを探り、大衆の求めるコンテンツを提供する。
自己研鑽して、身を削って、頑張る。
これがたくさんの人に支持される所以なんだろうと思うと同時に、
自分とは真逆だ、と痛感しました。
私はたくさんの人に支持されなくていいから、好きなように書きたい。
その結果、たまにご褒美がもらえるならもう十分。
どちらが良い悪いではなくて、進みたい方向の違いなんでしょうね。
数多いるブロガーの中で、こんな人もいていいんじゃないか、
と自己肯定しながら
やっぱり楽しく書いていきたいなあ、と改めて思うのでした。
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