某会社主催のセミナーが、最近Twitterの投資界隈で話題です。
その会社がFXや先物など、高リスクな商品を斡旋する会社であるからか、
講師として投資家やインフルエンサーが登壇することへの是非について色々な見解が示されています。
私がよく目にしたのは否定的な意見が多く、一例では、
「株で儲けようってTwitterで信者を集めといて、商品先物とFXの会社主催のセミナーに呼び込むなんて」
「業者の手数料稼ぎのために集客に協力しているセミナー屋」
などがありました。
一方肯定派の意見としては、
「行く行かないは自由なんだから、話を聞く場を提供することに何の問題もない。」
「お金と経験が得られるならやるのは当然。」
など。
どちら側の意見も知ることができて、とても勉強になります。
実を言うと、この某会社のセミナー講師依頼、私にも以前来たことがあるんです…。
様々思うことありお断りはしたのですが、正直に言えば、もし自分がこれを引き受けていたら、と思うと少し怖いなと思ってみていました。
なので他人ごととは思えず、騒動を見て感じたことをまとめてみました。
結論から言うと、
誰かを巻き込んで何かをしようと思えば賛否出るのは当然。
だからこそ判断軸は自分に置き、よいと信じること、やりたいと思ったことに従うしかないと思った、
という感想です。
賛否出て当然と考える
私自身は、話すことが自由である(主催者の制約を受けない)、ということであれば、
やりたい人はやればいいんじゃないかな、という考えです。
私と同じように考えていらっしゃる方には、「何も言わずほっとけばいいのに」的な意見の方も多くいました。
しかし私は、賛否どちらも活発に意見が出てしまうことについては、
今回は仕方ないかなと思います。
完全に外野の立場とは言い切れない以上、何か言いたくなる気持ちはわかる
外野がとやかく言うな、については、基本的には同意です。
でも今回の騒動に関しては、Twitterで否定的な意見を出している人を「関係のない外野」だと片付けるのは少し乱暴かな、という気がします。
なぜなら、Twitter内にいる不特定多数に向けて告知・来店誘致しているからです。
来てください、というお願いの中には自分や周りも含まれているわけで、
対岸の火事とは思えないかなと。
それに対して何か言いたくなる気持ちもわかります。
自分や近しい人に何かを売り込まれていることに対して
「そういうの嫌だ」と表現することは悪いことじゃないんじゃないか、
というか「いい」という人がいれば「悪い」という人もいるのがむしろ当然の反応かな、と個人的には思います。
好きじゃないと尚更言いたくなる
これは完全に私見ですけど…
もともとその登壇者についてよく思ってない(もしくはよく知らない)から言う、っていうのもあるんじゃないかと思いました。
ていうか私ならたぶんそうなっちゃいます。
普段からすごく仲のいい人とか、ものすごく信頼している人がすることだったら、違法なことじゃない限り、反対しないです。
きっと応援すらしたくなるはず。
感情ヒューリスティックというバイアスにかかってる状態で、
好き→安全
嫌い・知らない→危険
と思ってしまうわけです。
そこを冷静に判断すべきなんでしょうけれど、
瞬間的に拒否反応が出てしまうのもやむなしかな、と。
自分が正しいと信じたこと、やりたいと思ったことを貫くしかないと思う
発信者側にもそれぞれ事情や意図があるんでしょうけれど
それは受け手側も一緒です。
アクションに対してどう思うかどう捉えるかは、それぞれの自由。
まして自分に影響があることならなおさらです。
発信者ひとりで完結することなら「ほっとけ」と言えますが、
誰かを巻き込んで何かをすることについて、当事者から賛否出てしまうのは致し方ないことだと思います。
その行為の善悪問わず、意図しない受け取られ方をして、
今までコツコツと積み重ねてきた信頼が崩れてしまうこともある、という事実。
それは受け止めておく必要があるな、というのが今回の騒動を受けての私の感想です。
その事実を踏まえてどう行動するかは各自の自由ですね。
いずれにしても、どんな行動に対しても色んな意見は出ますし、それを制限することはできません。
自分がやりたいこと、自信を持っていいと思えることなら、周りに左右されずやり遂げるしかないな、と
改めて確信するきっかけになった事案でした。
ドラマ『半沢直樹』の中で頭取が言ったセリフにそれが端的に表されてるな、と思ったので
最後にそれを引用して終わります。
物事の是非は決断した時に決まるものではない。
評価が定まるのは常に後になってからだ。
もしかしたら間違っているかもしれない。
だからこそ今自分が正しいと信じる選択をしなければならないと私は思う。
決して後悔をしないために。
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