少し前ですが、こんなツイートをしまして。
言葉の裏にある「想い」に敏感になりたい。
行動や主張の背景には必ずその人の想いがあるはずで、
なぜそう思うのか、なぜそうしたのか、
それを読み取らないと正確に把握したとは言えないと思ってる。
全てを推し量るのは難しくても、その努力はしたい。だから、人となりが知れる記事は好きなんだ
— ねこまにあ🐱🌔 (@necomania7) July 17, 2019
いつもよりも多くのいいねを頂戴したことが、
ちょっとうれしかったです。
同じように思っている方がたくさんいるのかと思えて。
投資やお金のことに関しては、“数字”にコミットしてなんぼ、
みたいな世界ですけど、
私はそれだけではなく、
人の想いやその行動に至った理由も大事にしたいと思っているのです。
自戒を込めた記事です。
正論は大事だけど…外れてもいいよね?
これについて考えるきっかけをくれたのは、
Twitterで知り合ったある友人でした。
もちろん私が投資・お金関係のアカウントを運営し、
ブログをやっていることを知っていて、応援してくれています。
私がRTしているツイートやブログ記事などもよくみてくれているようで。
おそらくそれを受けてだと思いますが、こう言われました。
「お金関係のアカウントの人たちって、お金のことしか考えていないし
正解を探しすぎてない?
いろんな考えがあっていいと思うんだけど…」
聞いた時には、
そんなことない!と瞬間的に反論しましたが
冷静になると、一理あるなと思いまして。
お金に関する知識が深くなると、
“数字”で考える思考にどうしてもなりがちです。
投資に関することなら例えば継続してかかるコストや利回りをはじいたり、
家に関することならローンの金利や生涯コスト、
車でも維持費やリセールバリューなんかを考えたり。
とにかくそういう思考が得意になっていきます。
それ自体は悪いことではない!
自分の価値観として持っている分にはいいのですが、
発信するようになってくると、
他の人に教えるのもうまくなってくるもので、
助言を求めていない人にも助言をしたくなったり。
お金に詳しくない友人や知人を引き合いに出して
この点で間違っている、
と主張してしまったり。
知らずにマウントを取ってる状態になってしまったり。
恥ずかしながら、すべて自分の経験談です。
少しばかりお金の知識が増えたからと言って、
人様に押し付けることだけは絶対にしたらいけないなと
反省を致したところです。
選択の裏には想いがある。
前述の友人は、
保険に月8万円払っていると言っていました。(貯蓄性も含め)
本人も、かけすぎだと思っているとのこと。
なんとか考え直したいけど
忙しくてなかなか時間が取れないと。
何のために入っているかというと、
やはり家族のことを考えて、だそうです。
これについて、
「家族のことを考えればこそ、無駄な保険は払わない方がいい」
と言うことは、正論でしょう。
私のスタンスとして、
「曲がりなりにもお金のことを勉強し、発信している者として
アドバイスしてあげるべき」
これも正論でしょう。
保険加入過多の事実だけを取り上げて、
お金の無駄だというのはとても簡単です。
だけど私はそうはしたくないと思った。
家族を想って行動した、ということを尊重したかったし、
考えたくても時間が取れなくて、なかなか踏み出せない。
ということも、すごくよくわかったからです。
話している相手よりも自分の方がマネーリテラシーが高いと思った場合、
自分が正しいと思った方に導くだけだが正解なんでしょうか。
私は決してマネーリテラシーが高いと思っていませんけど、
いつも自問しています。
少なくとも、相手の決断とそこに至るまでの思考は尊重したい。
問題意識を持っていればそこに敬意をはらいたい。
そしてそれ相応の言葉遣いで接したい。
どう思う?とか
どうしたらいい?とか
相談を受けているならまだしも、
そうじゃないところで相手の考え方を否定するようなことはしたくありません。
共感されてはじめて進めることってあると思う
なぜなら私も、いくつも失敗してここまで来ているから。
今でも最短距離を行っている気は全然しなくて、
紆余曲折しながら少しずつ進んでいる気がしています。
だから仮に、友人や知人がした選択が
「明らかに間違っている」としても
そういうこともあるよねって共感したい。
失敗をしてきているからこそ、
それを踏まえてアドバイスをしてあげる、
という選択肢ももちろんあります。
もし相手が求めていればそうするでしょう。
でも、相手が本当に危機感を持ち、
見直したいと思う時、
ブログやTwitterをちょっと探せば、
正論なんていくらでも落ちてます。
すぐにそこにたどり着くでしょうし、
私にアドバイスを求めたければそう言うはず。
そうでないときには、まだ「その時」ではないのでは、と思うのです。
だったら私にできることは、
共感することなんじゃないかなって。
一時期、「これが正解」という情報にまみれて
疲れてしまったときが私にはありました。
その時にうれしかったのは、「異端」とされている行動を
否定せず共感してもらったこと。
そして自分を肯定できて、
そこからまた動き出せたことがあったんです。
共感が力になるときってあるんだね。
だから私も、そんな人でありたいと思うのです。
SAY「YES,AND」
会社勤めをしていたころ、
とても信頼している上司に「YES,AND」という言葉を教えてもらいました。
「YES,BUT」という
「そうだよね、でも~」と自分の主張をする技術もありますが
「YES,AND」は
「そうだよね、そして、こういう見方もできるよね」など、相手の考えを否定せずに
違う側面で見てみるという選択肢を提示するやり方です。
相手を否定していないので
すんなり受け入れやすく、議論もしやすくなります。
リクルートはとにかく、
「否定しない」っていう文化だった気がします。余談ですが。
それを聞いて以来、いつも意識しているのですが、
なかなか使いこなせていません。
せめてSNSで送信ボタンを押す前と
ブログUPのボタンを押す前には
相手を否定する言い回しがないかどうか確認するようにはしています。
想いを大事にしたいというのは、
お金の情報を扱う者として失格なのかもしれません。
より高い投資効率、結果を求めたり
得られる効果を最大にするには
そこは切り離した方がいいのかも。
でもそれはたぶん私にはむずかしいなぁ。
正当化するわけではないですが、
その感情を持って発信することが
私がブログやTwitterをする意味にもなるのかなと思えるようになってきました。
まとめのような宣言のような
ブログやTwitterを始めたころは、
私も自分の知識や経験を活かして、
情報の受け手に貢献したい、なんて思っていたんです。
だけど色んな情報に触れるうち、
インフルエンサーが言うみたいな“べき論”や正論
それだけが正しいようかのように受け取れる主張をたくさん見て
自分は本当にこうなりたいんだろうか?
そう疑問に思うようになりました。
答えは否、で、
それよりむしろ、自分はこう思うよー、こうしてるんだよー。
と発信してくれてる人の方に
今は強く惹かれます。
主語が常に「自分」である人は、魅力的です。
だから私も
「あなたにこうなってほしい」
じゃなくて
「私はこうしている」
を発信しながら
色んな人の考えを尊重していく、ということを忘れないようにしたいです。
だって何が正解かなんてわからないもん!
友人が見て
そういう趣旨じゃなかったんだけど!って言われたらどうしよう。笑
では、今日はこのへんで。
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