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それでも私は投票に行く。誰にも投票したくなくたって。

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オピニオン

昨日、期日前投票に行ってまいりました。

 

投票日当日、私は東京から戻ってくる予定でして、

何事もなければ当日に投票できる可能性は高いんですが。

万が一、新幹線が遅れるとか、なんかかんかのトラブルがあると嫌なので、

先に済ませてしまおう、ということで。

 

間に合わないってことだけは避けたいからね。

 

自慢することでもないですが、私は、選挙権を与えられてから、一度も欠かさず投票に行っています。

 

大学生の時には、住民票を移していないがために不在者投票ってやつをしないといけなくて

地元の選挙管理委員会と郵送でやりとりをしないといけなかったんですが、

その郵便費を使ってでも、選挙権を放棄してなるものか、という強い想いを持っていた、珍しい若者でした。

 

なんでそんなに選挙権を大事にしていたかというと、

世界史を学んだ時に、いかに庶民が選挙権を得るのが大変だったか、というのを知ったからです。

 

先人たちが、血を流しても勝ち取ろうと努力した選挙権。

特に女性の参政権が認められたのは、先進国でも20世紀に入ってからです。(日本は戦後)

 

それをみすみす手放すなんてそんなことはしたくない、と、妙な責任感を持っていたのです。

 

 

といっても、その選挙権、最初の方はひどい使い方をしたもんでしたけどね…

 

 

口先だけのマニフェストを信じて、いいじゃん!と思って投票したり。

肩書や経歴で、なんか庶民の気持ちを理解してくれそう、なんていうあいまいな期待で選んだり。

 

選挙の時はみんないいことしか言わないし、

いいこと言っても当選したらやることは同じで。

 

誰に投票しても同じ結果になるんじゃないの?

なら行っても行かなくても同じなんじゃないの?

なんて思うようになったこともあります。

 

薄っぺらい知識だけで選ぶ私のようなやり方なら

行かない方が世のためになるんじゃないかと思ったこともあります。

 

でも、やっぱりどうしても放棄だけはしたくなくて、

そいで選挙に行くからにはいい加減な投票はしたくないって、

少しずつ、選挙のたびに、勉強はすんですね。

 

ちょっとずつ、本当にちょっとずつなんですが、選挙のたびに知識が積み重なっていくんですね。

 

だんだん、「いいことだけ言ってて具体性がねえな」とか「前回となんも変わってねえな」とか、着眼点が変わってきて、

 

その上で思うんです。

 

誰にも投票したくない、って…

 

 

「政治家になりたい人にろくな人間はいない」とチャーチルが言うほどなんですから、

これは全世界共通なんでしょう。

 

 

それでも、私は投票に行くんです。

 

私が置かれた社会で、私がこうなってほしいと思う状態、なってほしくない状態というのがあるからです。

 

今回は、絶対にこうなってほしくない、という状態を推進する政党にはNOと言うために、

こうあってほしいと思う状態を推進する政党に、共感の想いを表明するために、投票しました。

 

その政党の考えすべてに納得できるわけじゃないけれど。

それでも、これだけは絶対に嫌、という状態だけは、回避したい一心で。

 

世界の片隅に生きる私の、たったの一票という些細な意思表示です。

それで世界を変えることはできません。

 

でも、声を上げなければ絶対に届かないから。

困ったことがあっても我慢し続けないといけなくなるから。

小さな小さな声でも、上げ続けていきます。

 

それが私にとっての選挙です。

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