「自己肯定感」という言葉の意味を、どうやらはき違えて覚えていたらしいです。
正しくは「今の自分のままでいい」と思えることらしいのですが、
いつの間にか、「自分に自信があること、自分大好きなこと」みたいな意味にとらえてしまっていました。
なんでだろうな。
『嫌われる勇気』でちゃんと読んだはずなのにな。
たぶんですけど、「自己肯定感高めよう!」みたいな文章を読みすぎてた時に、
「よりよい自分に!」「ポジティブに生きる!」的な自分に足りない要素ばかりインプットしようと努めたせいじゃないかなと思ってます。
今はもう、「自分を変えましょう」という主張に疲れてしまって、
自己肯定感、という言葉自体アレルギー反応を覚えるようになってしまったんですけれど。
そんな風になる前に図書館で予約してたらしい本が、
十数カ月越しに「用意できました」とメールが来ておりまして。
その名も『自己肯定感低めの人のための本』。
入荷メールを見たときは、「うげぇ、今になって自己肯定感の本かぁ…」ってなっちゃったんですけど。
仕方ないから取りに行って、とりあえず1ページ目だけ開いてみたらですね。
この本は自己肯定感を高めるための本ではありません。
自己肯定感が低めでも悩まなくなるための方法を書いています。
的なことが書いてあったのでですね。
ちょっと興味を惹かれて読んでみました。
中身をスーパーざっくり言うと、「考え方を変えるだけで同じ状況でも違う感情で過ごせるよね」っていうことなんですけれど。
(本当にスーパーざっくりで失礼…)
それはもう、ごもっとも、という感じなんですけれど。
(あ、もちろん、ちゃんと、ちゃんと丁寧に解説も対処法も記してありますからね!!)
私がめっちゃ「うわーそうなんだーーー」ってなって目からウロコポロンだったのは、
“考え方とか価値観って6歳までの体験や記憶で作られる”ってところでした。
たとえば親に褒められたこと、叱られたこと、教えられたこと、言われたこと。
育てられた環境、親との関係性、なんかで作られちゃうんですって。
へえええそうなんだぁああ!!
ってなんだか納得しちゃいました。
私の今の考え方は、小さいころに親にかけられた言葉で作られてる、
と思うと、合点がいくことばかりなんです。
何に取り組む時も完璧主義的になってしまうのは、
テストで90点取っても褒めらてもらえなくて、取れなかった10点を責められたから。
自分より優れた他人と比べて劣等感を覚えてしまうのは、
優秀な兄といつも比べられていたから。
人にどう思われるかが怖くて顔色を伺ってしまうのは、
奔放な姉に手を焼き、時に怒り散らす母の機嫌をいつも気にして過ごしていたから。
思い出したくもない過去のことなのに、
なんだか今までのことが結びついたような気がして、
辛かったけれど、ちょっとスッキリもしました。
と同時に、なんか、頑張ったねぇ、って自分に言ってあげたくなりました。
そんな幼少期の記憶が今の性格に影響してるなんて思わず、
いつも自分に自信がなくて、
そんな自分を変えたくて、たくさんもがいて。
自信がないことが言動に出るからか、頼んでもないのに色んな人から「もっとこうしたほうがいい」って言われて、
時に強い口調で言われることや、否定されることもあって、とても傷ついて。
それを真に受けて、自分が悪いんだって思って抱えて、ますます変えたいって思って、頑張って。
そう、頑張ったの、わたし。
頑張って疲れて、もう知らなーい!ってなって、
余計なアドバイスくれるおせっかい焼きマンから離れて、
「私、あなたの世界で生きてないから。あなたの価値観押し付けてこないで。」とまで思えるようになったんだよね。
でも、アドバイス聞かないって成長しないってことかな、とか
正直迷いもあって。
だけど、自己肯定感って高めるもんじゃなくて
自分を受け入れること、なんだったら、まあ、それでいいかなって。
成長しなくても、自分が苦しくなければ、いいかなって。
自己肯定感に関する本を久々に読んで、こんなことを思いましたとさ。
はぁ、また何の構成もなく思うままに書きなぐってしまった。笑
わかりにくくて、自己満足で、すいません。
でも聞いてくれてありがとう。
コメント
ねこさん、度々こんにちは笑
最近解消された違和感について、この記事を読んで、これはもしかして…と思ったことがあります。
ちょっと長くてプライペートなことになってしまうので、別な場所に書きたいんですけど…もし良かったらお問合せの方に書いても大丈夫ですか?
無理だったら何とかしてここに書きます笑
いつでも良いのでお返事頂けると嬉しいです!
くずのはちゃん、こんにちは。
いつもありがとうございます(^^)
お問い合わせフォーム、どうぞ利用してくださいませー!