『嫌われる勇気』は自分が幸せだと思えるためにどう考えるかを書いた本

嫌われる勇気 わたしの本棚

数年前に話題になった『嫌われる勇気』。

本屋で平積みになっていたのでふと手に取り、ぱらぱらとめくったところ

良さそう、と思ったのでしっかり読みました。

 

 

結果、とてもいい本でした。

もっと早く読めばよかった…。

 

自分を顧みた軌跡も残しつつ、感想も交えながら

内容を紹介したいと思います。

 

 

ねこまにあ
ねこまにあ

頭が混乱するような内容だし、

実践は難しいと思いますが、

セオリーは納得感のあることばかりです。

大筋

 

ある哲学者のもとに青年が訪れ、

青年や周りの友人の悩みを打ち明けながら、

哲学者が心理学を用いてその解決法を伝授する。

ストーリーは対話形式で進んでいきます。

 

自己啓発本のようにセオリーだけを語っていくのではなく、

読みながら感じる疑問を相談者の青年が代理で質問をしてくれることで

理解が進みやすいような設計になっていました。

 

相談者の青年は中身も外見も自分に自信が持てず、

他者の評価ばかり気にしてしまう人。

また、親との過去や自分の選択にもいささかの後悔をしている設定です。

 

青年の設定が明かされた瞬間、

これ私じゃん…と思って強く惹かれたのが読み始めるきっかけになりました。

 

おそらくこの本を手に取る人の多くがそうなのでしょう。

でなければ『嫌われる勇気』なんていう本に興味を持ちませんよね。

 

本は1~5章まで。

なぜこの心理学が必要なのか、というところから、総論的なところ、

さらに具体的にどうすればいいか、というように話は進んでいきます。

おそらく一番大事なところは5章になると思います。

 

そこに書かれている結論がこれです。

 

★「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」で対人関係の悩みは解消する
★過去も未来も、「いま、ここ」を真剣に生きるためには必要ないもの

 

わかるようなわからないような…だと思います。

ところが最初から本を読んでいくと、

この結論が響きすぎるほど響きます。

これからその布石を一つずつ紹介します。

第一夜:トラウマを否定せよ

 

自分が嫌い、好きになれない、

そう思ったら過去のせいにしたりしませんか?

 

友人に裏切られたことがあったから人付き合いが苦手。

とか。

親にこう言われ続けたからこんな性格になった。

とか。

 

過去にこういうことがあったから自分はこうなんだ、

そしてそれは変えることができない。

 

こう考えることを「原因論」と呼ぶそうです。

 

この本の筋になっているアドラーの心理学では、

その原因論を否定し、「目的論」を唱えています。

 

目的論とは、

今そうする目的のために理由を作ること。

 

本の中では例として、引きこもりを例に説明しています。

 

過去につらいことがあったから引きこもる、は原因論

目的論では、引きこもることで何かを得られるからそうする、としています。

 

何か、とは、たとえば

親の心配、愛情。

対人関係で傷つかずにいられること。

今の自分は嫌いでも、本気を出せばやれるんだ、という可能性を残しながら

挑戦に失敗して傷つくことを回避できること。

など。

 

こうなりたい、ああいう人になりたい、と思っているのは

現状に不満があり、幸せではないことのはずなのに

変わる一歩を踏み出せず過去のせいにしている。

それはそのほうが楽だから、

もしくは変わらないでいることで変われる選択肢を残しているから、と説かれています。

 

やるべきことはあるのに、やらない理由をひねり出している。ということ。

 

いつまでも過去のせいにして変わらない、やらない、と決めるのではなく、

嫌いな自分でいることを自ら選んでいることを認め、

ここから生き方を選びなおせばいい。

過去何があったかは今後の人生をどう生きるかに何の影響もない。

というのが1章のまとめです。

 

今の自分は選んでそうなっている自分。
過去は関係なく、今からどう生きるかを選ぶことができる。
ねこまにあ
ねこまにあ

まさしく過去のせいにしてきた私は

この時点で大きな衝撃を受けました。

そして過去のせいにしていた自分はそうすることで考えるのを放棄し

変えることから逃げていたことにも気づかされました。

第二夜:すべての悩みは対人関係

 

アドラーの心理学では、

人間の悩みはすべて人間関係である、としています。

 

そしてその原因は、

人生を競争だと思うことであると。

 

人と比較し、勝とうとする。

また、劣っていると感じ、劣等感を覚えてしまう。

 

劣等感については、正しく使えば成長や努力の促進剤となるけれども、

先ほど述べた、「過去のせいにする」と同じように

それを言い訳にしてできない理由をつくってしまうことにもなりかねない。

 

更にそれにとどまらず、

劣等感が基で虚勢を張ったり自慢をしたり、

不幸自慢をして相手の心をつなぎとめたり、といったことも。

特に不幸自慢は、自分の不幸を武器にしているので

武器にしている間は永遠に不幸を必要とすることになり、

かえって自分を貶めることに。

 

これを避けるためには”勝負”だと思わないこと。

間違ったら負け、謝ったら負け、権力を持ったら勝ち、

という考えから抜け出すことが必要だと言っています。

 

人と比較せず、環境や他者のせいにせず、”勝負”から抜け出すこと
ねこまにあ
ねこまにあ

情けない話ですが、“勝負”と思っている節、私にもありました。

「私のほうが優れている」と思いたくて行動していることがあり、

顧みて反省せざるを得ませんでした。

第三夜:他者の課題を切り捨てる

 

この章では、

「承認欲求の否定」から始まります。

 

相談者である青年は、「承認欲求こそ原動力である」と哲学者を攻めますが、

結論は変わりません。

 

アドラーの心理学では、

他者承認される必要はなく、むしろ求めてはいけない。

他者の期待を満たすために生きているのではない。

と他者視点をばっさり切り捨てています。

 

そのためには「課題の分離」をすることが必要であり、

それは同時に対人関係の出発点であると続けます。

 

課題の分離とは、

自分の課題と他者の課題を分けて考え、他者の課題に踏み込まないこと。

そして自分の課題には介入させないこと。

 

抽象的でわかりにくいですが、

自分の行動で他人がどう思うかはその人の勝手、みたいなことだと

私は解釈しました。

 

他人の気を引こうとしたり、期待に応えようとしたりして振る舞うのは

「他者の課題」を意識しすぎている。

飽くまで自分は自分の意図通りに、好きに行動する。

それについて他人がどう思うかまでは与り知らないし、知る術もない。

という感じでしょうか。

 

むしろ他者に嫌われることは、

自由に生きた証であるとさえ言っています。

好きなように行動した結果、他者に嫌われたとしてもそれは自分の課題ではない。

だから考えない。

 

本のタイトルはここからきているのかな、と思います。

 

承認欲求は他者のために生きることにつながる。
自分ではコントロールできない他者の課題を切り分け、自由に生きる。
ねこまにあ
ねこまにあ

承認欲求を冒頭から切り捨てたことに驚き、

「課題の分離」という考え方に感銘しました。

今まで自分は「課題の分離」ができておらず、

他者からの承認を求めすぎていたな、とこれまた反省しました。

第四夜:世界の中心はどこにあるか

 

この章では、対人関係とはどうあるべきなのか、

ということに言及しています。

 

大事なことは「横の関係」を築くこと。

 

横の関係の反対語として「縦の関係」がありますが、

それは「ほめる、ほめられる」という状況や

「ほめたい、ほめられたい」という感情で成り立つもの。

 

ほめる、ということはそもそも相手を自分より低く見ている状況、

そして操作したいという欲求からくる行動。

自分がこうしてほしい、こうあってほしいという状態に導く介入でもあると。

 

アドラーの心理学では、

横の関係を築くには、

ほめる、ではなく感謝や喜びを表現することが必要だと言っています。

 

そうすることで、他者へ貢献できたと感じ、

自分自身に(自分がしたことではなく)価値があると思えるようになるそうです。

 

この、対人関係における縦か横かの話は人によって使い分けることができません。

周りの誰かひとりに対しても(それが親子や上司部下であったとしても)

縦の関係になっていたとしたら

すべての対人関係を縦でとらえているということになります。

 

逆に言えば一人とでも横の関係が築ければ

すべての対人関係が横の関係になるとのこと。

 

ほめる、ほめられるという縦の関係ではなく
感謝、喜びを表現する横の関係を築く
ねこまにあ
ねこまにあ

ほめる=善だと思い込んでいた私には衝撃の内容でした。

ただ、たしかにほめるということが

相手を低く見ていることにつながりかねないという理論には

納得感もありました。

第五夜:「いま、ここ」を真剣に生きる

ここがこの本の核となる部分だと思います。

 

悩みを解消するには具体的にどうしたらいいのか?

ということが書かれています。

 

それには冒頭でも紹介した三つの要素が必要です。

自己受容、他者信頼、他者貢献です。

自己受容

自己肯定とは異なります。

自己肯定は、自分は100点だと言い聞かせること。

自己受容は、60点の自分を受け入れ、100点に近づくにはどうするかを考えること。

 

ありのままの自分を受け入れ、

変えられるものは変えていく勇気を持つこと。

 

他者信頼

 

他者を信じるにあたり、一切の条件をつけない。

 

この場合、自分のことが好きかどうかとか裏切るかどうかは他者の課題であるため、

「裏切られるのがこわい」から信頼できないと考えることは理由として成立しません。

信頼することを恐れれば、だれとも深い関係を築けないですし

深い関係を築くことで対人関係の喜びは増し、人生の喜びも増えると言っています。

 

自己受容と他者信頼、

この二つを満たすことで他者を仲間だと思うことができます。

そのうえで次です。

 

他者貢献

 

仲間である他者に対し、

なんらかの働きかけをすることが他者貢献です。

これは自己犠牲のもとに成り立ってはいけません。

自分を犠牲にするのではなく、

自分の価値を実感するために行うものです。

 

実際に貢献できたかどうかはここでは問題ではありません。

貢献できたかを判断するのは他者の課題だからです。

 

私は誰かの役に立っている、と思う”貢献感”が大切です。

 

この3つのピースは輪のようになっており、

 

自己受容できる

→だから裏切りを恐れずに他者を信頼できる

→だから他者を仲間だと思えて貢献できる

→だから役に立っていると実感できて自己受容できる

 

という風にかかわっています。

 

む、難しい…。

 

それもそのはず。

これを本当に理解して生き方まで変えるには

それまでに生きた年数の半分が必要だそうです。

20歳の人でも10年必要ということですね。

 

私なりの解釈では。

とにかく他人がどう思うか、なんて考えずに

自分が他人に貢献できると思うことをやりなさい。

ということだと受け取りました。

そして、実際に貢献できたかなんて聞く必要はなく、

貢献したな、と実感して終わり。

 

自分が何かしたことに対して、

どう思ったかを聞くことはなく、

自分の価値基準として「貢献できたな」と思う。

相手から感謝をもらえればありがたく受け取る。

そういうことなんだろうなと。

 

ちょっと自己満足的な考え方ですが、

自分が幸せになるために、という観点ならば、それでいいのかもしれません。

 

もし対人関係がうまくいっていないと感じるならば、

この3つの要素どれかが欠けている。

なのにそれ以外の理由をつけて、変えられない、と嘆いているのは

全体を把握できていない生き方なのだそうです。

 

「いま、ここ」を生きる

この章でもう一つとても大事だなと思ったのが、この考え方です。

 

作者はこの考え方について、

人生を舞台にたとえてこんなことを言っていました。

 

いまここにいる自分に強烈なスポットライトをあてていれば

ここしか目に入らない。

前にいる観客も、後ろの舞台も。

大事なのはスポットライトが当たっている今ここにいる自分で、

過去も未来も関係ないと。

 

そして、人生は連続する「点」であり、「線」ではない。

過去も未来もいま、ここで考える問題ではない。

いま、ここを真剣に生きれば問題にもならないことだ。と。

 

ねこまにあ
ねこまにあ

私はついついこの先どうなる、とか

今後のためには今これをしないと、と考えてしまったり、

前にこうだったからこうはしたくない、と過去を持ち出してしまったりすることが多いので、

この視点はかなり刺さりました。

まとめ

 

今まで書いてきたことのまとめ的なことが

最後に書かれていました。

すべての要素がつまっていて、一番わかりやすそうだったので、

ここは全文引用したいと思います。

 

どんな刹那を送っていようと

たとえ嫌う人がいようと

「他者に貢献する」という導きの星さえ見失わなければ迷うことはないし、

何をしてもいい。

嫌われる人には嫌われ、自由に生きて構わない。

そうすればつねに幸福とともにあり、仲間とともにある。

そして刹那としての「いま、ここ」を真剣に生きる。

過去も見ないし、未来も見ない。

誰かと競争する必要もなく、目的地もいらない。

(中略)

わたしが変われば世界が変わる。

世界はほかの誰かが変えてくれるのではなく

わたしによってしか変わり得ない。

私の感想

 

この本を読み終えて、

これが実践できればだいぶ楽に生きれるだろう、と思いました。

 

自分が他者に貢献できると思ったことを実行し、

それを他人がどう思うかは考えない。

その結果嫌われたとしても、それは他者の課題であり自分の課題ではない。

きっとこれを実行した結果離れずにいてくれる人が本当の仲間になるのだろうと。

 

しかし、いざやろうと思うとなかなかに難しい…

他者の課題、と簡単に切り捨てるにはやはり「勇気」が必要で、

まさにタイトルの通りだなぁ、と思ったりしたのでした。

 

ただ、私は周りの目を強く意識しすぎるところがあるので、

その意識はだいぶ変わったと思います。

(まだ読みたてなので継続するかどうかが大事ですが)

 

誰かにほめられたい、認められたい、好かれたい、

という目的で行動するのではなく

他者貢献できると自分で判断したら迷わず行動する。

結果的に人がついてきてくれる、というのがベストなのだと。

 

この本でも引用されていましたが、ユダヤの教えにこんな話があるそうです。

10人の人がいるとしたら、そのうち1人はどんなことがあってもあなたを批判する。

あなたを嫌ってくるし、こちらもその人のことを好きになれない。

そして10人のうち2人は、互いにすべてを受け入れ合える親友になれる。

残りの7人は、どちらでもない人々だ。

 

この時、どこに焦点をあてるのかで「世界」が決まってきます。

私は「受け入れ合える2人」にフォーカスしていたいし、

そのために自分の正義を貫くしかないかなと思ったのでした。

 

他者評価はコントロールできない。

それなのに他者の目ばかり気にして評価を得られなければ

自分がやりたかったことでもない、

他者からの評価も得られないで、

行動に後悔しか生まれない。

 

だったらもう好きな風に行動するしかない、ですね。

それで少なくとも自分は幸せになれるのだから。

 

他者の目を気にせず

好きに生きる「勇気」=嫌われる「勇気」ということなのかな。

 

ねこまにあ
ねこまにあ

って偉そうに言ったけど実際そんな簡単には割り切れない!

でも割り切れないっていう決断をするのは自分だし…?

ていうことはもう決めて行動すべき?

…葛藤はまだ続いてます。笑

ただ、こういう考え方があると知っただけでも

私にとっては救いになりました。

 

あなたならどう思い、どう行動するでしょうか?

お読みになったら

是非解釈や感想をお聞きしてみたいです。

 

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