普通だと思ってたんですけど…
どうやら私、行動力があるらしいです。笑
あくまで楽天が日本一になったらにしましょうぞε-(´∀`; )
ねこまにあさんの行動力はすごいですよなあ…(´ω`)— こトリさん🐦米国株投資と幸せマネーライフ (@smallbird_work) October 6, 2019
あまり自覚してませんでしたが、
振り返れば、「人に会う」ということに関しては
私はかなり積極的かつ行動的かもしれません。
こないだは、
前職の後輩と飲むためだけに大阪に行きました。
(滞在20時間くらい。笑)
仲のいい同級生が病むくらい悩んでて、
話を聞きたいがために東京に行ったりもしました。
(それも滞在20時間くらいかな。)
「会いたい」と思ったら
そして相手も会いたいと思ってくれたら、
必ず会えるように段取ります。
漠然と「いつか会おう」じゃなくて
「じゃあいつ会う?」にします。
それは、今までにした苦い経験から来ています。
ちょっとだけ暗い話になりますので、
目次をご覧になって耐えられそうな方だけ読み進めてください。
理由1:元同僚の死
いきなり暗い話で申し訳ないですが、
この話は避けて通れません。
いざ話すとなると、
何から話せばいいか、わからないですが。
順を追って話させてください。
地元から、仙台に転勤になり、
はじめて出来た後輩(と言っても年齢は私より上)の女性がいました。
彼女は私より10歳ほど上でしたが、
社員(私)とパート(彼女)という立場もあり、
また私の方が入社が先ということもあり、
指導する立場にいました。
銀行員時代の話です。
彼女も昔金融機関で働いており、
事務の基本はわかっていましたが
端末の操作、そして投信生保の営業に関しては素人でした。
特に営業。
最初はいやいやながらやっていたのですが、
ある時、研修を聞いて、その内容をそのまま実践したら…
なんと大口、1000万円の契約を取るという快挙を成し遂げました。
その時の研修、私も一緒に受けていて、
このお客様に研修でやったことそのまま話してみなよ、
失敗してもいいじゃん、と私が背中を押して営業成立したことから、
契約を取ってお客様をお見送りした直後、
彼女は私に寄ってきて、「やったよ!〇〇さん(私の名前)!!」
と満面の笑みで報告してくれたのです。
正直、厳しく指導した時もあったのですが、
それでも私を慕い、失敗を恐れず営業をして、
結果を出してくれた彼女を私はとても尊敬しました。
この件をきっかけに、
彼女とはかなり距離が近づきました。
営業店の目標を達成するために
励まし合いながら戦略を立てたり、
未達の時は一緒に悔しがり、泣き、
達成した時は一緒に喜び、笑い、そして泣きました。
彼女にはお子様がいらっしゃいましたが既に巣立ち、
ご夫婦お二人で暮らしていたこともあり、
仲良くなってからは何度も家にお邪魔して、
ご主人ふくめ、家族ぐるみでお付き合いをしていました。
彼女のつくる手料理は本当においしくて、
当時一人暮らしをしていた私の胃袋と心を満たしてくれました。
同志であり、第二の母のような存在であり、
大事な友人でした。
私が銀行を辞めてからも、
しばらく連絡を取っていましたが、
私が東京に引っ越すことになり、
連絡は途絶えがちに。
そのころ、風のうわさで
彼女が病気になったこと、そして
会社を休職していることを知りました。
東京に越してから1年ほどで
仙台に戻ってきた時、
一度連絡を取り、
いつものように彼女のお宅にお邪魔しました。
その時は体もかなり回復していて、
薬の影響で太ってしまったと大きな声で笑う姿に
とても安心したものです。
それでも。
「また来てね!」
「また来ます!」
この約束が実現する日は来ませんでした。
これからは同じ仙台にいる、
いつでも会える、
そう思って、
私は連絡を取ることを怠りました。
次に彼女のことを知ったのは、
共通の友人から、
亡くなったと連絡を受けた時でした。
忘れもしない。
雪が降る、寒い朝のことでした。
銀行員時代の、先輩からの電話。
滅多に連絡が入ることのない人からの電話に、
なんとなく胸騒ぎが。
「〇〇さん(彼女の名前)が、亡くなりました。明後日お葬式があります。」
銀行内部でだけ閲覧できるシステムの掲示板で
訃報を知ったそうです。
私をはじめ、仲良くしていた方に連絡を回していてくれたみたいでした。
あまりに驚いて、
本当のこととは思えなくて、
涙も出ませんでした。
連絡をくれた方と
もう一人、いつも一緒に遊んでいた子を連れて
一緒に葬儀に出席しました。
会場について
たくさんの花に囲まれた遺影を見た瞬間、
すべてが現実なんだとようやく受け止めて
一気に涙が溢れ出ました。
そこから歩くこともままならないほどに。
そして、襲われた、とてつもない後悔。
どうして、ひとこと連絡しなかったんだろう。
会えるタイミングなんていつでもあったのに。
ご主人が言っていました。
みんなには知らせないでほしい。という希望だったと。
悔しかった。
どうして知らせてくれなかったの。
どうして最後に会う機会をくれなかったの。
そう思ったけどそれ以上に
どうして自分からそうできなかったんだろうと
後悔が止まりませんでした。
一緒に葬儀に出た子も想いは同じで
帰りにお茶を飲みながら
「会いたいと思ったらすぐに連絡しよう。
もうこんな想いはしたくない。」
お互いに、そう約束しました。
以来、約束をした子だけでなく、
会いたい人には「絶対に会う」と決める。
それだけは、心に誓いました。
相手が突然いなくなるだけじゃない。
私だって、いつどこでどうなるかわからない。
病気じゃなくても、災害や事故だってあるんだから。と。
今連絡を取れることが、当たり前じゃないんだと、
痛感しました。
理由2:Twitterでの突然の別れ
もうひとつの経験は、
Twitterで出会った、とても信頼していた方との
突然の別れです。
と言っても、その方はご健在です。
今も元気にブログを書いています。
私がたまに紹介する、こぼりたつやさんというブロガーさんです。
彼はある日突然、Twitterから姿を消しました。
アカウントがなくなっていたのです。
毎日Twitterに来れば
彼に会って(実際には会ってないけど)
話をすることができました。
私はとても慕っていて、
時に相談もするような相手でした。
それでも、突然いなくなってしまった。
直後は本当にさみしくて、
でも戻ってくることを信じて待ってて、
1ヶ月経ち、2ヶ月経ち、
もう戻ってこないだろうな、、と思った頃、
この記事が出た。
読んで少し吹っ切れて、
自分でも記事を書いて、かなり吹っ切れました。
吹っ切れましたよ?
けど。
あの時抱いた淋しさは、覚えてるんです。やっぱり。
いなくなるなんて思ってもみなかったから
もっと伝えたい気持ちや
話したいことがあったな、って。
あと、あんなこと言わなきゃよかったな、なんてことも
思い出してしまってましたね…。
毎日話していた人が、
さよならもなく姿を消す。
それがSNS。
インターネットの世界。
それでも私は、
画面の向こうにいる「その人」と話をしているつもりだから、
突然いなくなられて、
それがSNSだよね、と簡単に吹っ切ることは難しいんです。
事情があることはわかっても。
自分勝手な想いでも。
だから今、
“Twitterだけのつながり”でいたくない人には
その意思表示を私からしています。
それを受け入れるかどうかはもちろん、
相手次第。
相手が同じように思っているとは限りませんので、
その温度感はちゃんと探らないといけない。
でも私から伝えていかないと
想いは届かない。
そう思っているので、
不器用だけど
伝え続けていくしか私にはできなくて…。
二つの悲しい別れが私にもたらした感情で動いてます。
人とのつながりって
本当に儚いと思っています。
だからこそ、相思相愛でつながっていられるときに大事にしたい。
私は大事にするのが下手くそで
距離感を測りながら
足し算や引き算をして接することがとても苦手。
ストレートに100の気持ちを表現することしかできません。
それで失敗もしてきたけれど…
そうしないで後悔するのも、もう嫌なので。
そんなわけで。
会いたいと思ったら、
そして相手が会いたいと思ってくれたら(←ここ大事)、
絶対に会う。
その意思表示は、自分からする。
今はこれをとても大事にしている、という、お話でした。
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