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傷ついた経験も、確実に自分の糧になってるんだな、と思った出来事

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ゆる日記

 

「世の中には色んな人がいるから、無理にみんなと仲良くする必要はない」っていうことを、

私はTwitterというコミニュティの中で学んだのかもしれないなって思った出来事がありました。

 

先日、友達と話をしていた中で、ちょっとした相談を受けたんです。

 

話していたのは、いわゆる“ママ友”の中の一人。

でも、私がイメージしていたママ友と違い、

「うわべだけの友達」みたいな付き合いにならず、とてもありがたい存在の人です。

 

彼女の相談は、ほかのママ友さんとの関係で少し悩んでいる、というものでした。

なんでも、自分は仲良くしようとしても、そっけない態度をされる人がいて、どう接していいかわからない、とのことで。

 

「みんなと仲良くできるように頑張っている」という彼女は

せっかく同じコミニュティにいるから、一度はみんなに話しかけて、距離を縮めようとするんだそうです。

 

だからこそ、相手に冷たくされたと感じると困惑してしまうんだとか。

 

いやぁ、その努力ができることが、まずすごいですよね。

とりあえず話しかけて距離を縮めてみるって、言うのは簡単だけれど、行動するとなるとすごいことだなって、私は思います。

 

だって、色んな人がいるんですもの。

私だったら、複数の人数が集まる場にいたら、「この中には私と合う人と合わない人が絶対にいる」と思って

まずそれを見極めることから始めますもの…。

 

といっても、そんなにすぐ見分けられないから、

人を観察することから始めて、言動をよく見て、「大丈夫そう」と思ったら徐々に近づく、みたいな。

 

彼女から相談を受けて、そんな風に話したら、結構驚かれました。

 

ここに驚かれるとは思っていなくて、

なんで私はこうするようになったんだろう、と振り返ってみました。

 

そこで思ったんです。

たぶん、Twitterをやって、色んな人がいるって痛感したからだなって。

 

大学や職場、接客業の時のお客様、取引先など、

様々な地で、多くの人と出会う機会はありました。

 

けれどTwitterでの出会いが、群を抜いて多様性があったように思います。

 

匿名であることがそうさせていたのかもしれません。

普段の生活での出会いとは、やはり違ったような気がしています。

 

本音や考え方を吐露し合うみたいな側面もあったからか、

合う合わないがはっきりわかることが多かったですし、

合わない人とはぶつかってしまうこともありました。

 

匿名がゆえに、放たれる言葉がとても鋭利で、

傷つくことも、何度かあったなぁ、と思い出します。

 

最初は自分の至らなさが原因だと、完全に自責にしてしまっていましたが、

段々と、必ずしもそれだけが原因ではないと思うように。

 

同じ言動であっても、捉えられ方って人によって全然違うこと、

どんなことをしても、必ず快く思わない人はいるんだということを知ったからです。

 

でもその分、必ず好ましく思ってくれる人や、応援してくれる人もいるんだということも。

 

だからなんだと思います、出会ったときに、人をよく観察するようになったのは。

色んな人がいると知ったからこそ、新しい出会いに過度な期待も、心配も、あまりしなくなりました。

 

仲良くなれる人とはなりたいけど、そうできない人がいてもその人のことで悩まない。

その分、大切な人のことをちゃんと考える。

そんな風に少しだけ、肩の力が抜けたみたいです。

 

沢山の人と出会い、ぶつかって、傷ついて、

あんな想い、できたらしたくなかった、と思うような辛いこともあったけれど、

そんな経験から今に活かせていることもあるんだな、と思った出来事でした。

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