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30年以上会っていない父が、他界した。その前後の葛藤と、色々な気持ち。

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先日、父が他界した。

 

父と言っても、30年ほど、会うことも言葉を交わすこともなかった。

 

父と母は私が小学校にあがる前に離婚しており、

二人の話し合いによるものなのか何なのか、

それ以来父が連絡をくれることも会いに来ることもなかった。

 

最初は淋しかった記憶があるけれど、

今ではもう思い出すこともないくらいの存在になっていた。

 

なのに、亡くなる二日前に、私は父の現況を知り、

前日に会って話をした。

 

そこに至るまでに色んな葛藤や複雑な感情があって、

とてもじゃないけれど、自分ひとりで抱えきれるものではなかった。

夫をはじめ、家族はもちろん支えてくれてありがたかったが、

すべてを共有できたわけではない。

仲のいい友人にだって、なかなか話せる内容じゃない。

そんなときに思いついた手段が、書くことだった。

 

こんな時にブログなんて書いてる場合じゃない、なんてことは、何度も思った。

けど、それ以外に自分の気持ちを整理する手段が思いつかず、

パソコンに、スマホに、都度自分の気持ちをぶつけていた。

 

これはそんな、数日間の私の記憶。

 


 

発端は、いつもと何も変わらない、ある朝のこと。

 

30年音沙汰のなかった父の現況を、突然夫から聞かされた。

しかもそれは、よくない知らせ。

 

病気で入院していて、危険な状態だと。

何とか、会う時間を作れないか、と。

 

なぜ夫からそんなことを聞くのだ?と思ったのだが、父の妹、つまり私のおばにあたる人から連絡があったらしい。

おばの存在なんて、その時まで知らなかった。

父がいよいよ、という状態になって、ほうぼうのツテを当たった結果、

私の夫にたどり着いたのだそうだ。

世間は狭い。

 

詳しいことを伝えたいから、できれば直接話したいらしい、と夫に言われたのだが、

すぐに承諾することはできなかった。

突然思わぬところから思わぬ父の話を聞かされて、動揺しまくっていたのだ。

 

今更なぜ父の話が?なぜ私に?

おばさんって、存在も知らないけどなんで?

危険な状態?会うってどういうこと…

 

晴天に霹靂がいくつも落ちてきたような状態で、

一瞬頭が回らなかった。

 

冷たいかもしれないけど、父に対しての感情は、今や無に等しかった。

何が原因で離婚したのか知らないが、

家族を置いて家を出たことを恨んでるなんてこともなければ、

慕うこともない。

まして会いたいと思うことなんて、この数十年は全くと言っていいほどない。

 

それでも血の繋がった人が死に際していると聞けば

やはりそれなりの動揺はあるわけで。

この数十年思い出すこともなかった人のことで今更感情が揺さぶられることも、不愉快だった。

知らなければよかった、とさえ思った。

私は父よりも、むしろおばの勝手を恨みたい気持ちだった。

 

そしてそれは徐々に、怒りに似た感情に変わる。

 

ここまで没交渉だったにもかかわらず、

危険な状態だからと言って突然連絡するなんて、こちらの気持ちを全然考えてないじゃないか。

混乱すると思わなかったんだろうか。

会う会わないの決断を、もう今すぐにでもしないといけないなんて状況を

突然つくるなんてひどすぎない?

普通の状況でも、30年ぶりに会う、となったら、勇気が必要なこと。

はいそうですかとすぐに行けるものではない。

けれど、死が迫っていると聞かされれば、今行かなければ後悔してしまいそうだ…

 

そんなことが頭をぐるぐると駆け回り、とても苦しかった。

どちらを選んでも辛い道になってしまいそうで、

それを私に選ばせるということが、とても残酷な仕打ちに感じた。

 

混乱してそのままの感情を、夫にぶつけた。

もちろん事情をすべて理解している夫は静かに聞いていたが、

全部聞き終わるとこう言った。

「どうする?あなたの気持ちひとつだよ」と。

 

その言葉で、かろうじて保っていた精神も崩れ落ちそうになった。

 

私次第なんてことはわかってるよ!

だからこそ選択する重圧がすごいんだって。

会わなくても後悔するかもしれないけど、

今会う勇気だって相当いるんだよ?

なのに今すぐ決断しろって?

もう十分重圧を背負わされてるのに、追い打ちをかけるようなことを何で言うの?

 

そんなことを感情のままに伝えて、

とりあえず考えさせてくれ、と夫を仕事に行かせ、

私はおばと電話で話をすることにした。

話だけでも聞こうと。

 

おばと直接話したことを要約すると、こんな内容だった。

「兄(私の父)が肺がんで入院している。

今週になって急に容態が悪化して、いつどうなるかわからない状態らしい。

兄は私(おば)にも病気のことを隠していて、しつこく聞いてようやく話してくれたくらいだった。

まさかあなた達に話すわけもないし、手段もないだろう。

でも、以前子供たちに会いたいと言っていたのを覚えていたので、いてもたってもいられなくなった。

勝手な話だが、会いに行ってもらうことはできないか?」

 

なるほど、すべておばの独自の判断で動いたことだったのか…

それを知り少し落ち着いた。

父が今際の際に、今まで会おうともしなかった子供に会いたいなんて言っていたのなら

それこそ勝手極まりないと思っただろう。

 

それでもやはり、おいそれとは決められない。

おばとは初めて話したが、素直に伝えた。

とても混乱していること、

少ない時間で会うか会わないかの判断を迫られていることに、

今とてもストレスを感じていること…

話しながら、いつの間にか泣いていた。

 

それを聞いていたおばは、

「そうよね、ごめんね、おせっかいなおばと思って許してちょうだい。」

と、泣きながら謝った。

 

ああ、この人もまた、ストレスの中で決断をしたんだなと思った。

何が善なのか、誰かを想って、その人のために何ができるのかと、

推し量って出す答えは、正解かどうかなんてわからない。

正解のわからない問いに対して、決断をすることは難しい。

そのことに悩んで決断したことは伝わってきて、それ以上責め立てる気にはなれなかった。

 

父が望んだわけでもないのにお節介をはたらいたおばの行動を

父はどう感じるのだろう。

私に闘病中の姿を見せることを、どう思うのだろう。

 

何より、私はどうしたいんだろう。

 

父が明日をも知れぬ状態とわかりながらも、

すぐに判断することはとてもできなかった。

 

誰かに相談したいと思った。

でも、こんなことを相談されても困るだろう。

相談したところで結局自分で決めるしかないのだ、とすぐに思い至り、やめた。

 

でも、でも…

一人で決めることが心細かった。

 

そこで真っ先に思い出したのは、

いつか見た友人のブログ記事だった。

すぐに探して、開いた。

 

(尊敬と感謝をこめて、ここにその記事を貼ります。)

【3000文字チャレンジ】なぜあの時ぼくは泣けなかったのか。

実は・・・。【3000文字チャレンジお題「私を熱くさせたもの」】

 

 

ブログというのはこういう時、ある意味メンターのようにもなる。

父親の死に直面した時感じたことを率直に綴った二人の文章は、

前に読んだ以上に心に刺さるものがあった。

 

私はこの記事たちに背中を押されるように、

会うことを決めた。

 

後編へ。

30年以上会っていない父が、他界した。その前後の葛藤と、色々な気持ち。(後編)
こちらの記事の続きです。 会うことを決めたのは、 父のため、というわけじゃない。 自分が後悔しないため。 会いたい、というよりはむしろ 会わなきゃいけない、という責任感に似た感情が強かった。 ...

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