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30年以上会っていない父が、他界した。その前後の葛藤と、色々な気持ち。(後編)

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こちらの記事の続きです。

30年以上会っていない父が、他界した。その前後の葛藤と、色々な気持ち。
先日、父が他界した。 父と言っても、30年ほど、会うことも言葉を交わすこともなかった。 父と母は私が小学校にあがる前に離婚しており、 二人の話し合いによるものなのか何なのか、 それ以来父が連絡をくれる...

 

会うことを決めたのは、

父のため、というわけじゃない。

自分が後悔しないため。

会いたい、というよりはむしろ

会わなきゃいけない、という責任感に似た感情が強かった。

 

父は母と離婚してしばらくしてから再婚したようで、今はその人が面倒を見ているのだと、聞いた。

おばは私に連絡をする前に、その今の奥様に連絡したそうだ。

そして私が会いに行くかもしれないことは了解を得ているので、そこは心配ないと言っていた。

それでもなんとなくその人に申し訳ない気持ちもありつつ、

病院に連絡をし、会う段取りを整えてもらった。

コロナの影響と使っている薬の関係で、自由に来てください、というわけにはいかないようだった。

容態を考えると早い方がいいとのことで、早速次の日に行くことになった。

 

一応母にも伝え、

おばに会うことを決めたと伝えた。

 

私には姉と兄がいるけれど、

できたらその姉と兄にもこのことを伝えて欲しいとおばには言われた。

 

さすがにそれは躊躇った。

私は末っ子で、父の記憶が一番薄い。

それでもこの知らせを聞いて相当動揺したのに、私よりも父の記憶が濃いだろう二人が聞いたらどう思うのだろう…

しかも、会いに行くには私よりも遠く離れた場所にいて、すぐに来れるわけでもない。

 

そんな中で、この難しい選択を二人にもさせるのか、と思うと、

今伝えることが正しいのか、考えても答えが出なかった。

 

とりあえず会ってからにしよう、と

私だけに留めておくことにした。

 

そんなこんなで色んなところとの連絡の中継地点になってしまったことも、

私の心労になった。

誰に伝えて、誰に気を使って、

どう段取りして…

一日そんなことで、気疲れしながら終わっていった。

 

 

 

次の日。

病院に伝えられた面会時間に間に合うように出発。

クルマで片道3時間半の道中は、まだ余裕があった。

 

久しぶりに帰る地元。

新しい道路ができてるなぁ、とか

そんなのんきなことを思いながら、

ずいぶん実った稲の茂るたんぼ道を走らせ、病院に向かった。

とても、暑い日だった。

 

病院に着いて、段取りどおりに病棟へ連絡する。

さすがに、緊張した。

何を話そう…

会うと決めてからずっと考えていたが、とても難しい問題だった。

コロナの影響で病棟へは入れず、

ベッドごと待合所のようなところへ下ろしてもらい、15分ほどの面会。

 

30年ぶりに対面した父。

すっかりやせ細り、私の微かな記憶にある面影もまったくなかった。

苦しみや痛みを抑えるためにかなり多くの薬をつかっているそうで、

はっきりと話すことができるかどうか…と事前に伝えられていた。

 

「○○だよ、わかる?」

自分の名を名乗ってそう話しかけると、少しだけ目を開けて、軽く頷いた父は、

「ありがとう」と声にならないくらいの声でつぶやいた。

 

ありがとう、か。

30年ぶりに会った娘への最初の一言がそれで、

なんとなく、ほっとした。

謝られたりしたら、たまったもんじゃなかったから。

 

結局、言葉らしい言葉を発したのはそれだけで、

あとは何か言いたいような動きはすれど、苦しくて話せないのか、何も話さず。

 

私は何を話したらいいのかもわからず戸惑い、考えに考えた結果、

おばに病気のことを聞いて会いに来たことと、姉と兄と私の現況を伝えた。

 

「みんな元気だよ、安心して。」

 

そう言いながら、なぜだか涙があふれてきた。

 

何年も話していないのに自然と方言で話してしまうところが、

何ともいえず不思議だった。

 

聞こえてるのか聞こえてないのか。反応はほとんどなく、わからない。

それでも何か話さないと。

涙をぬぐいながら、必死に探した。

 

ただ兄弟の話をしてるだけなのになぜ泣けてくるのだろう。

それでも、私の知ってる顔ではない、けれど父だという人に、

私の言葉を伝えないと、と、必死に頭を回転させた。

ほぼ使命感だけで動いていたように思う。

 

10分ほど経った時、

付き添いの看護師さんに「もうこのへんで…すいません」と告げられた。

 

別れ際

「最後に会えてよかった」

そう言った。

会えてよかった、そう思った自分に驚いた。

 

けれど「最後に」と言ったのは

よくなかったかな。

 

「がんばって。

もう頑張ってると思うけど、頑張ってね」

そうとしか言えなかったが、最後までそう呼びかけた。

 

目も開けず、反応もなく、

聞いてるのかもわからなかったけど、

呼びかけた。

 

 

父を見送り、

最後だという実感もわかないまま、

父の、今の奥様に会った。

 

きっと一番辛いのは彼女なんだろう。

この機会も、複雑な想いを持って迎えたのかもしれない。

そう思うと、挨拶もせずに帰る気にはなれなかった。

 

嫌な顔ひとつせず気さくに話をしてくれる方で、

不安を吐露しながらも気丈に、

今の気持ちや、病状のことを話してくれた彼女は、

とても素敵な人だった。

 

私たち家族と離れた後で

この人としっかり家庭を築いたんだなと思ったら、

幸せだったのかな、父は。そう思った。

 

色んな話をして、帰り際、こう言ってくれた。

「会いに来ると知って、どんな人だろうと思っていたけど、かわいくて素敵な子で、会えてよかった」

そう笑ってくれた時

私はめちゃくちゃに泣いた。

 

私の決断と行動が受け入れられたような安堵と、

存在を認めてくれた嬉しさと、

前妻の子などという、決して会うことに前向きになれないだろう存在に対してこんな言葉をかけられる彼女の器の大きさへの感服がないまぜになったのだろうと

少し冷静になった今だから思う。

 

父はこの人に看取ってもらえるんだな、と思ったら、

昨日から背負ってきた責任感も重圧も全部、荷が降りた気がした。

清々しい気分だった。

それは、とてもとてもありがたかった。

 

「また会えたらいいね」と言いながら彼女が差し出してくれた手を握り返しながら、

人の死が結ぶ縁もあるのだな、と

不思議に思った。

 

人はいつ死ぬか分からないんだから、そういう状態になる前に会いたい人に会う、言えることは言う。

今までそう思って生きてきたけれど、それはつまらない正論だったかもしれない。

もちろんそれも正しいけど、やはり、人の死に際するからこそ生まれる感情があるのも確かで、

それによって変わる人間関係というのがあるというのも事実なのだろうと、今回のことで悟った。

 

とんぼ返りの日程だったけれど、

最後に久々に夕陽を見たくて、海に寄った。

 

ジュッと音がしそうな日本海に沈む夕陽とともに、

私の色んな感情もまた沈まっていったのがわかった。

 

 

 

その、次の日。

おばからメールが来た。

「さっき亡くなったそうです」と。

 

看護師さんの話では、今週中は持つだろうということだったけど

どうなるかなんてわからないものだ。

驚きはしたけれど、後悔はなく、涙も出なかった。

我ながら薄情な娘だと思う。

 

コロナの影響もあり、葬儀には遠方からの出席はできないかもしれないと聞いていたけれど、

出られることになった。

ここまでで色んな感情をやり過ごしてきたから、

もう何も感じることもないだろう、

と、思っていた。

 

けれど。

始まる前の余裕はきれいに裏切られ、

葬儀中私は、ものすごく泣いた。

でもそれは、父を悼んでのことではない。

お孫さんからの弔辞を聞いていたたまれなくなってしまったから。

 

今の奥様の連れ子のお子さん、つまり直接血の繋がらないお孫さんが読んだ弔辞。

専門学校生と高校生で、もう大きかった。

小さいころから一緒にいるので、本当の祖父だと認識していると今の奥様に聞いていた。

 

そこには父とのたくさんの思い出が綴られていた。

一緒にサッカーをした、色んな所に連れて行ってくれた、小論文を教えてくれた。

私が知らない父の顔ばかり。正直、参った。

中でも印象に残ってるのは、「じじのおにぎりが一番好きだった」という言葉。

私は父からおにぎりをつくってもらったことなんてあったのかな。

 

会えてよかった、と思っていたことが、揺らいだ瞬間だった。

このことを知れて、私はよかったんだろうか。

私はここに、どうしているんだろうか。

疎外感すら覚えてしまった。

とめどなく涙があふれてきて、どうしようもなかった。

 

事情を知っている親戚が、後から「あなたがどんな気持ちで聞いてるかと思うと…」と、

慮ってくれたことだけが、救いになった。

 

それでも、過去はもう戻ってこないし、何を思っても仕方ないと思えるくらいには、

私も大人になったらしい。

焼香の時、心の中で私は父にこう声をかけた。

 

おとう。

私はあなたが作ったおにぎりの味を知らない。

血がつながっていても、私との、そんな些細な思い出すら持てなかったあなたも、

新しい家族とは、たくさんいい思い出を作ったんだね。

正直言えば、そのほんの一部でも、私も何かしら、あなたとの記憶を持ちたかったよ。

淋しかった時もあったんだ。

けど今そんなこと言っても仕方ない。

だからあなたが築いた家族を、これからも見守ってあげなきゃいけないよ。

 

まあでも、もし大変じゃなければ、ちょっとだけ私の家族も見守ってよね。

 

 


 

あとがき

 

これほどまでに悩んで書いた記事は、今までなかったと思います。

書く前にも、書いてる最中にも、書いた後にも、

これを残すべきなのか、こんな感情ばかりを並べた文章を出していいのか、と

悩みました。

 

とにかくその時に感じたことを中心に書いたので

拙い部分がたくさんありますが、それを修正しきれませんでした。

これが今の私の限界なのでしょう。

 

それでも正直に、

娘なのに冷たいな、と何度も思ったこと、

娘だから揺さぶられた気持ち、

そのすべてをここに置いておくことにします。

 

人が見ればただただ長くて退屈な自分語りだったでしょうに、

ここまでお付き合いいただいて、ありがとうございます。

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