久々に、朝の30分でどれだけ書けるかシリーズのゆる日記、やってみたいと思います。
最近は、書きたい記事にかかりきりになってて
ゆる日記を書こうなんて余裕もなかったですからねー。
そう考えてみると、
ゆる日記を書く書かないというのは、
ある程度自分に余裕があるかどうかのバロメーターになるのかもしれません。
しかもつい最近までは
長い長い梅雨のおかげで朝さんぽの機会も奪われ
朝歩かない、となると自然と早起きの習慣も失われてしまい、
もうちょっと寝る…とついつい布団にもぐりこんでしまう始末。
朝の余裕なんてあったもんじゃないような生活でした。
書きたい記事を全部書き終え、
梅雨が明けて朝さんぽも復活した今だからこそ、ゆる日記も書けるというものです。
好きに書ける場所と時間は、本当に貴重ですね。
好きに書く、といえば。
私は一度500文字ブログ、というシリーズをやって、
500文字以内と書くハードルを下げて、
その代わり毎日書こう、というチャレンジをしたことがあるのですが。
そこで「文字数制限」という縛りの中で書く、ということが
とても好きになりました。
好きと言うか、むしろ快感の域ですね。
(変態じゃないよ)
こないだTwitterをぼーっと見てたら
「140文字以内で書くの難しくて、ツイートしたいことはあるのに書けない」と嘆いていた方がいらっしゃって、
ああ、その気持ちもわかるなぁ、と思ったんです。
下書きばかりどんどん増えたりしてるしね。笑
でも、私はですね、その難しい中で勝負するのがめっちゃ好きですね。
縛られれば縛られるほど好き。
(変態じゃないよ)
Twitterなんて特にそうですが、
140文字を超えたら投稿すらできないという
スーパー縛りなわけですよ。
その中で、自分が言いたいことをコンパクトに
過不足なくまとめられたときの快感ったらないんですよね。
(変態じゃ…以下略)
だから、縛りがあればあるほど挑戦したくなります。
それが、私がTwitterにハマってる理由のひとつかもしれません。
数々の縛りの中で文章を書いてきた者から言わせてもらえば、
だいたいのケースで、無駄な表現って探せば出てくるんです。
私で言うと、
言いたい伝えたいという気持ちが強すぎて、
同じようなことを何度も書いてしまうことが、よくあります。
書いてるときは熱が入ってるので気づきませんが、
時間をおいて見てみると、「あれ?同じ主張が言葉を変えて何度も出てくる💦」
となってしまう。
あと、説明がくどくなってしまったり、というのも、
すごくよくありますねぇ…(反省)
そういう時縛りというのは本当に便利で、
この文字数の中で書く、と決めてしまえば、
何度も繰り返し伝えたい言葉や長い説明も、
無駄な修飾語や接続詞もどんどんそぎ落とされて、
自然とダイレクトに伝わる文章になっていく…気がしてます。
私はその、洗練されていく感じがとても好きで、
だからこそなるべく文字数制限のないブログでも、
MAX2000文字くらいになるように、と意識して取り組んでいます。
でも、
それだけが正義ではないよな、とも思います。
簡潔にしすぎると、誤解を招いてしまう表現になったり、
色んな解釈ができるようになってしまったりして、
正確に伝わりづらい面があるのも、たしかなんですよね。
それに、無駄な表現と先ほどは言いましたが、「無駄を楽しむ」みたいなことも、
もちろんあっていいと思うんです。
小説を読んでいたりすると、やけに情景を詳しく描写する作家さんとか、いますよね。
私は本筋に関係ないことは飛ばし読みしてしまったりしますが(失礼)
あまりにきれいな表現だと、そこばかり繰り返し読んでしまうこともあります。
それもまた、才能だなぁ、と思ったりするんですよね。
要は、
私みたいに「縛られて書くのが好き」か
はたまた「膨らませることが好き」か。
どっちも個性で、それが文章の味になるよなあ、と思いました、まる。
…何を書いてるんだろう?笑
では今日はこのへんで。
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