ぼーっとネットニュース見てたら、
伊藤沙莉さんがお兄さんを応援したM-1関連ツイートを謝罪、的な見出しを見つけて、
え、なんで??と思って見てみたんです。
記事はこれ↓
女優の伊藤沙莉さんのお兄さんが、M-1決勝に出たオズワルドのツッコミの方ということで、
大会終わった後にツイートしたらしいんですよね。
お兄さんの健闘を称えるようなツイートを。
それに対し、「錦鯉おめでとう、とかほかの方に配慮もした方が好感が持てます」みたいなことを言った方がいたらしく、
それについて「配慮欠けてました」っていう謝罪だったんですけど…
私、正直びっくりしてしまいました。
これで謝罪しなきゃいけないの!?と。
一連の流れを見るに、
伊藤さんも「謝らされた」というよりも「自分でも自覚してたから謝った」みたいな感じらしいんですけど。
でもやっぱり、謝る案件ではないような気がするんですよねー。
配慮欠けてるんですかね…
っていうか、この場合、配慮っているんですかね!?
優勝したコンビに対して、納得いかないとか文句つけたりしてるんなら話は別なんですけど。
記事中の元ツイート見てもらえればわかりますが、
そこには純粋な、お兄さんへの気持ちしか読み取れないですよ。
ただただ、お兄さんをねぎらいたいという気持ちに、他の人への配慮、いる!?
そんなこと言い始めたら、もう何か感想言うたびに各方面に配慮しないといけないじゃないですか。
大量の配慮に埋もれて、言いたいことが薄まっちゃうよ。
文章って結局「一番伝えたいこと」をどう伝えるか、だと思うから(Twitterなんて特に文字数限られてるし)
それがわかりやすいのが一番素敵だと私は思うのですよ。
他の内容があればあるほど、一番伝えたいことってぼやけていくので。
今回でいくと、お兄さんのことだけを想って、ストレートに気持ちを伝えられてる伊藤さんのツイートは、見てる人の胸を打つ素敵な文章でした。
それでも、、こんなふうに指摘されてしまうんですね。
同じ文章でも、本当に色んな捉え方する人がいますよね。
だから、不特定多数が無料で閲覧するネットやSNSで発信をするのは本当に難しいと思います。
こちらがコミニュケーション取ろうと思ってない(理解してもらおうと思ってない)相手からも見つかって、意見されてしまうわけですから。
信頼関係も何もない人と、完璧に意思疎通を図るなんて無理なのに、
それを求められるというか。
違う価値観を持つ人にも、そちらの正義を押し付けられてしまうというか。
こっちも全方位に納得してもらおうなんて思ってないから、
そちらも私を納得させようとしないで、納得しないままお引き取りください。
と、言いたい。
…失礼、ヒートアップして私情が強くなってしまいました。笑(過去にいろいろ言われたことを思い出してつい…笑)
つまりあれです、
自由に言いたいこと言えるようで、言えばどこかしらから槍が飛んでくる、
世知辛い世の中ですね、っていう話でした。
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