気づけば、今日は七夕なんですね。
すっかり忘れていました。
残念ながら、朝から雨が続いています。。
七夕といえば、やはり「逢いたい人に逢う日」みたいなイメージが
いまだに強いですね。
願い事を書く、というのは、ほとんどしなくなってしまったしね。
短冊に願い事書いたくらいじゃかなわない、というのが身に染みてわかるくらいには大人になったし。笑
なので、運転中にラジオで「今日は七夕ですね」なんて話を聞いた時には反射的に
「今逢いたい人って誰かな」って考えてしまいましたねー。
逢いたい人、と考えて、
何人かぱぱっと思い浮かべられるのは、とても幸せなことだなと思います。
それだけ一緒にいる時、話しているときに、
楽しい時間を共有できている人がいるということですから。
さて今、特に何の構想もなく、
思いついたことを書き綴っているのですが、この後何を書こうか、とふと手を止めたとき、
「逢うことは、別れること」というのが思いついてしまったので、そんなことを書こうと思います。
ちょっと、切ない感じになっちゃいますけど。
楽しい時間は、必ず終わってしまいます。
私は別れの時、というのがとても苦手で
(得意な人っていないかもしれませんが)
楽しかった時間と、それがぷつりと終わってしまった後のギャップに
とてもさみしさを覚えることが多いです。
すこし話はそれますが、
昔は飲み会というのが本当に好きで、
それが終わってしまうのがさみしくって、
お酒が回って夜も更けてテンションが高くなると
「帰りたくない」と言うことも多かったです。笑
「そろそろねこさんが『帰りたくない』って言いだすから終わりにしよう」
っていうタイマーがわりに仲間内では使われてました。笑
(実際は「ねこさん」とは呼ばれてないけどね)
そんな私にとって、
別れのさみしさを救うのは、「またね」と言って別れられることです。
別れ際に、「また逢いたい」「話したい」という気持ちになれる相手がいて、
相手もまた同じように思ってくれて、お互いに「またね」と言い合えるというのは、
やっぱり幸せだなぁ、と思います。
だから、別れの時にそれを聞くと、
さみしさが和らぐんです。
そういう意味では、とても好きな言葉のひとつですし、
言ってもらえれば、とても嬉しい。
そして私自身も、大切に使う言葉でもあります。
「またね」の約束が、必ずかなうわけではありません。
いつ何が起こるかわかりませんし、
コロナ禍で逢いたい人になかなか逢えない状況も続いています。
だから、願掛けもしたくなるってもんですね。
久しぶりに、願い事、書いてみちゃった。
さて最後に。
もう一度逢いたい、といえば
こんな歌を、私はすぐに思い浮かべます。
「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」
川の流れが早く、岩にあたってふたつに分かれてもまた一つになるように
あなたと私もまた必ず逢おう。
的な意味だったような。
私が諳んじて言える、数少ない歌。
好きな歌のひとつでもあります。
この歌が百人一首の77番。
そういう意味でも、今日思い浮かべるのにふさわしい歌な気がします。
何か素敵な偶然じゃないですか?
では今日はこのへんで。
またね。
コメント