相変わらず、毎日甲子園を見る日々です。
昨日はなんと東北勢が一気に3校出場し、
なななんと全校が敗北してしまいました。。。
我が出身県の山形から出た鶴岡東も、
近江高校の前に完敗…
強かったぜぃ…
一方惜しかったのは八戸学院光星。
あのイチローを排出した名門、愛工大名電相手に延長戦まで持ち込む展開に。
最後はサヨナラで負けてしまいましたが、いい試合でした。
そんな甲子園を毎日見ててね、思うんです。
「終わり」が人を輝かせるんだな、って。
夏の甲子園は、負けたら終わりです。
高校生活最後の試合になってしまう。
今まで戦ってきたメンバーと野球できるのも最後になってしまう。
最後にしたくない、という思いが、全力を出させるのでしょうね。
プロ野球と高校野球の大きな違いはそこで、
野球は好きだけどプロは必死さがないから嫌い、という人も割といます。
プロはまた違う魅力があるんだけどそれは今は置いておくとして。
終わりがあるから必死になるし、そこに魅力を感じる、というのはその通りだと思います。
やっぱり、負けたら終わり、なのと、次がある、では、どうしても違いますよね、モチベーションが。
違ったらダメなのかもしれないけど、そりゃあ違いますよ、絶対に。
負けたくない、という思いがね、どうしても強くなりますよね。
だけどその思いの強さの分、追い詰められると、人を狂わせることもあるな、と思います。
このまま野球の話で行くと、例えば一打サヨナラの場面なんかでは、泣きそうな顔で投げてる投手とかも、見るわけですよ。
精神的に追い詰められるのか、今まで落ち着いて投げてたのに、突然ワイルドピッチとか。
ストライクが入らなくなるとか。
そりゃそうです、負ける、終わってしまう、と頭によぎってしまうと、なかなか冷静ではいられないですよねぇ。
それが大事なものなら尚更。
終わりがあるから必死になれるし、
その必死な姿が輝いて見えるから高校野球ってファンが多い側面もあると思うのだけど、
終わりがあって、必死になるから、
終わりがくる、という恐怖に支配されると今までできていたことができなくなる。
人って終わりがあることで、強くも、弱くもなるんだな、と。
そんなことを高校球児たちに改めて気付かされた夏。
始まれば、ほとんどのことが終わってゆく人生の出来事や人間関係も、
終わりがあるから尊く感じ、尊いが故、手放したくないという感情が時に人を狂わせるのかもしれない、
なんてことまで考えてしまったのです。
そう考えると、無尽蔵にお金があったら、
お金を払うことで得られる経験やモノになんの魅力も感じなくなりそうですね。
それはそれで淋しい人生かも。
ある程度お金がないくらいの方が、色々大事にするし、限りある中で選ぶのが楽しくなるのかも。
…嘘です。100億円欲しい!!
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