朝、さんぽに行ったときに撮った写真に和歌をつけて、
ツイートする挑戦をしています。
一心に 君を見つめて 染まる身の
儚く散ると 知りても愛しく真っ赤に染まったもみじ。
その美しさは一瞬でも、太陽を一心に見つめて自らの身を染めることをどこか誇らしく感じて。#写真と和歌
タグ勝手に使っちった( *´艸`) pic.twitter.com/tPiNbQ9oQw— ねこまにあ🐱🌘 (@necomania7) November 9, 2020
暗き道 行く方もなしと 思ふ日も
君の光に 孤独救われ朝の暗い道に咲く花が街灯に照らされていました。薔薇に似てるけど、何だろう?
寒い中のさんぽは、一人行く道の孤独を救ってくれるような楽しみがないと続きませんね💦おはようございます🙂 pic.twitter.com/fnbw74aqSV
— ねこまにあ🐱🌘 (@necomania7) November 10, 2020
ご覧の通り、まだ二回です(*´∀`*)エヘヘ
それでも挑戦は挑戦なんだ!
毎日歩いていると、本当に少しずつなんですが、季節が変わっていく様を目にすることができます。
たとえば、日が昇る時間が遅くなったり早くなったりすること。
花が咲いていく、散っていく様子や、
花の香りや、葉の移ろいゆく色なども。
普段の移動手段はクルマが多いので、
さんぽをしていなければ、きっと見られなかった・感じられなかった風景です。
さんぽ終わり、気が向いた時には、そんな風景の写真をサクッとツイートしてたりしたんですが、
和歌を入れる、となると、やはり考える時間がとても必要で、思いついたらすぐ、というわけにはいきません。
ひとつめのやつなんかは、夕方に投稿しちゃってるし。笑
Twitterの売りである、リアルタイム性や速さと逆を行くスピード感。
でもそれも、何だかいいなぁ、と思いまして。
Twitter、本格的にしっかりする&見るようになってからは、だいたい2年くらいです。
反応をもらえるのが楽しいのもあって、思いついたことをすぐ吐き出すツールとして、多用してきました。
(ツイ廃って言わないでw)
頭の中に浮かんだ言葉をすぐアウトプットできて、とても便利なんですよね。
メモ代わりにも使うことができるし、ここから広げて記事にしたこともたくさんあります。
とりあえずの言葉置き場がTwitter。
落ち着いてしっかり文章として置いておくのがブログ。
そんな位置づけ。
む、そんなことを語っていたら少し話が逸れて来ましたね。
話を戻すと、Twitterほどのスピード感がなく、ゆっくりでもいいな、と思ったことです。
私はもともと性格がせっかちな方で、
特に話す、ということに関しては思いついたらもう言いたくてウズウズしてしまうくらい。笑
なのでTwitterとの相性はいいと思うんです。
ですけど、
思いついた言葉を、もっと深く掘って、その後吐き出す、ということを増やしてもいいかなって。
和歌を考えてるとき、なんぼか思うんですよ。
こんなめんどくさいことをしなくても、
そのまま思いついたことパって書いてぺってツイートすればいいじゃんって。
でもねー、より深く考えて、自分の言葉を出すことの充実感もあるなって。
すごく表現が難しいですけど。
スピード感はここ1年くらいのツイ廃Twitter多用でだいぶ鍛えられた気がするので、
今度はこういう、深みというか、じっくりゆっくり言語化・文章化していけたらいいのかなー。
まさか和歌を考えることで、こんな境地にたどり着くとは。笑
何事もやってみないとどんな気持ちになるかってわからんですよね。
とってつけたようなことを最後に言いますけど、
和歌の曖昧さもまたちょっといいんですよね。
自分ではこのモチーフにこんな想いを乗せて詠んだけれど、
受け手の方はそう取ってくれたかな?
こんな風にも、あんな風にももしかしたら取れるのかも。
そんな「あそび」があるというのもなんと優雅なことでしょう。
正確さ、スピード感、という、ビジネスや実生活に重要視されそうなことを放棄して、
曖昧さ、ゆっくり深く、という逆の方向に走ろうとしている私はどこへ行くのか。笑
そういえば、前にキャンプの特集をテレビでやっていたとき、
キャンプの良さは「不便を楽しむこと」と言っていたのを思い出します。
昔はそれが当たり前で、不便さを抜け出すために発達させてきた様々なものたち。
それを捨ててあえて不便な生活に戻る、ということは、「選択の自由」があるということで、
むしろ豊かさを表しているようです。
文章も同じで、昔は双方向でやりとりをするにも時間がかかったのに、
郵便が発達し、Eメールで大幅に時間が短縮され、チャットにまで発展。
SNSではスピード感をもって自己表現ができる中で、
あえてそれを選ばない、というのも、かえって豊かな時間の過ごし方だったりして。
これを突き詰めて、もしかしたら手書きに戻ってしまうかもしれないねこまにあなのでした。
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